川越市といえばサツマイモが有名です。
川越市といえばサツマイモというイメージが定着したのは1700年代末でこの頃江戸では焼き芋が大ブームでした。
その理由としてはサツマイモが庶民が食べる事の出来る食べ物の中で数少ない甘い食べ物であったという事と値段の安さです。
このブームを受けて近郊の村などでは江戸向けのサツマイムの栽培をはじめました。
その中でも川越イモはとても質が良く最高級品とされていました。

川越は江戸と新河岸川で結ばれていたため船で運搬するのに向いていました。
これが川越に味方するのです。
なぜならサツマイモは重くてかさばる作物だからです。
そのためたくさんのサツマイモを出荷する事が出来ました。

川越のサツマイモは質も良く、流通量も多いので1830年頃にはもうサツマイモの代表産地は川越地方だと記載されています。

さらにサツマイモの栽培方法を確立したのは川越出身の赤沢仁兵衛さんという人物で1866年から研究を開始して現在に通じる栽培方法を見つけ出したのです。

川越菓子屋横丁

川越には明治初頭からお菓子屋が多くありましたが、関東大震災で東京の菓子問屋が軒並み大きな被害を受けたことがきっかけで、東京の問屋に代わる量のお菓子を生産するようになり最盛期を迎えました。その名残を今に残すのが、川越の菓子屋横丁です。最盛期に比べて店舗数は減っていますが、良質な駄菓子を市民や観光客に提供し、江戸の下町風の雰囲気に魅了され、多くの人が集まってきます。このノスタルジックな雰囲気と懐かしい駄菓子の香りとが融合された通りは、「日本のかおり風景100選」にも選ばれました。

またこの川越菓子屋横丁通りの石畳には、色あざやかなガラスが散りばめられています。昔のポストや電信柱を再現したものもこの独特の景観を守っているもののひとつです。誰もが懐かしい気持ちになり、子ども時代を思い出す、そんな街並みになっています。さらにこういった景色だけではなく、飴細工の細かな技術に象徴されるような菓子職人の心意気までもが伝わってくる、そんな駄菓子の数々は人々の心をつかんで離しません。みんな一度は食べたことのある駄菓子は、日本の古き良き時代を思い出させ、心を和ませてくれるでしょう。

この横丁を駆け回る子どもたちや、昔を懐かしむ大人たちの表情は、昔の風情を数多く残す川越の街並みや市民の人柄が作り出しているといえるでしょう。菓子屋横丁のノスタルジックな雰囲気は今後も受け継がれ、多くの観光客を集わせ、川越のあたたかさを伝えていくはずです。